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Channel: 【Real.アジング~真実へ~】第5章
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東京回顧録 ~離別~

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平成21年12月

俺の父親が亡くなって2ヶ月後のある日

『防衛省、市ヶ谷に転属する気はないか?』

当時の隊長にそう告げられた。

市ヶ谷での職務内容は、所謂VIP相手の仕事。



正直、俺が最も苦手とする分野の職務内容である。


《偉い人間に気を使い、媚び諂う事》



兵隊として現場だけで20年近く仕事をしてきた俺としては…


『ごめん被る』



話しであった。


ましてや、父親が2ヶ月前に亡くなり母親を不便な実家で独り生活させるのは愚息子としても忍びない話しであった。



が…


しかし…


カッコ悪いんだよ


理由は何であっても


カッコ悪いんだよ断ることは男として。


転属(転勤)を打診されて断ることは男としても、兵隊としてもカッコ悪い。


『お前、死ねよ』

と、上官から命令されたら


『了解!』


って、死ぬのが兵隊だ。

それを、子供が小さいからとか、親の面倒をみないといけないからとか、居心地がいいからとか、なんだかんだ理由をつけて断る…

カッコ悪いだろ?それ


確かにclass俺くらいになると当時の部隊の現場を《中村王国》として、全てに責任を持って、全てを仕切って、自分の思い通りにやっていたから居心地は良かった。

が…


年明け平成22年1月

隊長殿に

『行きます』

と、返答した。


俺が築き上げた王国を後任者に任せて、俺の最も苦手な分野の市ヶ谷への勤務の道を敢えて選択した。

まあ、そこは男として、兵隊としてのプライドだ。


平成23年3月23日

練馬の官舎に住まわせてもらい市ヶ谷勤務が始まった。

慣れない電車通勤に慣れないVIP相手の勤務、ストレス全開だ。

それ以前に【言葉】の壁

ガチガチの広島弁は早々に抜けるモノではない。

言葉を発することや電話対応さえも苦痛の日々だった。

そして、人、人、人だらけの東京

田舎者のclass俺は東京の生活は最後まで馴染めなかったね。


平成23年夏

class俺くらいになるとそんな障害も3ヶ月もすれば楽勝なワケで…

そうなるとclass俺の【アジング】という趣味の再開だ。

当時、関東のアジングはまだまだ未発展であり、アジングの情報も0に等しい状況

しかも、友達も居なければ土地勘もない

オマケに金もない。


でもやっぱりアジングが好きなワケで…

車で走り廻ったね

館山~御宿まで。

殆どの港を撃って周ったケド…

暗い夜に初めてのポイントに行っても何も解らない

今考えてみると、頓珍漢なポイントでも必死でロッドを振っていた。

しかも、房総のアジが釣れるポイントと瀬戸内でのポイントの違い

これは大きかった

瀬戸内で釣れるであろう条件のポイントでは殆ど釣れない。

最初は戸惑ったよ

そして…

当時、密かに房総のアジングでグループを作って楽しんでいる方のホームページを見ると…

そこで小さな大会みたいな事をやってたんだが…

ぶっちゃけ

『そんなんで優勝?』

みたいな釣果。

自分の外房デビューの【撃沈釣果】の内容をとある方にコメントしたら…

『25匹も釣れれば良いんじゃないですか?』

みたいに返信があったんだが…


『いやいや、アジングはそんなもんじゃないでしょ?』


と、class俺は感じていた。

要するに、房総アジングはまだまだ開拓されてないし、【釣り方】もまだ発展途上。



『class俺が見せてやるよアジングの力を!』



当時はそんな風に考えていたのが、class俺自身のアジングの知識も技術もまだハナタレ小僧だったのも確かである。


そして、ブログを始めたのがその年の平成23年9月


まだまだポイントも知らず引き出しも少なかった頃であったが、釣果は普通のアングラーからみれば《衝撃的》なモノだったようだ。

他アングラーを遥かに凌ぐ釣果を出すことで当時のブログタイトル

海猿の【アジングの向こう側】





【アジングやりたい放題】

も少しずつアクセスは増えて、ブログを通じて釣り仲間もできてきた。


秋には横浜の沖堤のアジングデビュー

ここでのアジングがclass俺のアジングの土台となったのは間違いない

堤防に上陸すると興奮して手が震える

それくらい楽しくて仕方無いアジングは【趣】が有る故だ。

ここでもロコアングラーのカラー理論に疑問有りで…   

それまでの【釣れるカラー】はぶち壊したね。

ブログのアクセス数が増えてくると…

【有名人】扱いされることも…

そうなると不純な理由で俺に近づいてきたりするクソアングラーも居たな。


ただのオッサンなんだけどね


あとは【妬み】

某メーカーのスタッフなんかはテメェが釣れない日にclass俺が爆釣するもんだから…

面白くなかったんだろうね。



そして【清掃活動】を企画してみたり…

【おさわり会】を企画してみたり…


海猿の【アジングの向こう側】



色々とアジング以外もやった

更にアクセス数が増えてくると…


ようやく《毒》を吐くことに意味をもってくる


アクセス数が少ないのに、理論をぶちまけても誰も見やしないから

アクセス数が増えて【class俺理論】をブログ記事にするようになると…



《蛆虫君》どもが湧いてくる。



なかなか理論的な批判は無かったね…


ガキの誹謗中傷的なモノばかりで面白くなかったね…

そういえば、某メーカーのスタッフには釣り場で変な噂話しを流されたりもしたよな…


元々、class俺はハッキリものを言うし、性格は酷い野郎だし、好きな事を書くから敵も作る。



人間関係のトラブルも多かった



ま、俺からすればハナタレ小僧やハナタレババァは眼中にないんだけど。


沢山のアングラーと面識を持ったケド、離れていくアングラーも多かったのは事実だ。




というか…



俺も嫌いな人間はキライだから。



class俺にも選ぶ権利はあるわけだ。


最後まで残った仲間は色んな意味で懐が深い男達だね



ま、色々と勉強になったね。


そうそう!

俺が外房でアジングを始めた時は【デイアジング】なんかやってるアングラーは皆無

今ではナイトよりもデイが主流になってるけど、当時の釣り場はclass俺の貸し切り状態。

全国的に見ても外房エリアのデイアジングは異常に釣れるってこと。


アジンガーの数も急増した

ナイトで有望ポイントを5ヵ所ランガンしても、5年前はアジンガーには3人位しか会わなかったケド…

アングラーの数は5年前と比べたら30倍くらいになったんじゃね?

茨城方面も独りで開拓した時期もあった

那珂湊方面は遠かった…

鹿島はまだ2~3年

楽しいポイントが沢山あったし、鹿島で仲間になったアングラーも沢山居たな…

関東のアジングで心残りなのも鹿島方面のアジングだ

まだまだ試したいことが沢山あったし、もう3年くらいは通いたかったかな。


そしてロッドビルド


正直な話し

ロッドビルドを始めたキッカケはギャンブルの大敗から。

どうせならブランク買いまくれ!的に大借金をしてロッドビルドにつぎ込んだわけ。




でも、このロッドビルド

やればやるほど楽しく、日本全国でロッドビルド仲間も増えたね

俺が言うのもなんだが、各メーカーも動かしたし、ロッドビルド業界には大きな影響を与えたハズだ。


ロッドビルドをやってると既製品は使いたくなくなる。

誰もが感じてるんじゃないかな?

それは

【ロッド性能】や【ロッドのクオリティ】

を、ロッドビルドする事でアングラー側が理解出来たからだと考えている。


そしてマグナムクラフトさんとの出会いで更に理想的なアジングロッドを作成出来るようになる。


かなりワガママを言わせて頂いたが、理想のブランクを作成して頂いた。

釣りが10倍楽しくなる《ロッドビルド》

これからは、アジングロッド以外も増えていくだろうね。



さて・・・



Last外房アジングは・・・


伝説の男【源G】さんと2年振りくらいに一緒にアジングだ。


最後なので、この源Gさんとのなれ初めをかいてみる。


3年前?小湊港でカマスを独り黙々と爆っていると・・・


数メートル横に爺さん発見


ロッドはかつて一世を風靡したDAIWA・MXアジングを使っている爺様である。


断っておくが、爺さんと言ってもそこまでの爺さんでは無い。


テトラや磯はclass俺にも着いてくる《テトラー1級》のロボ爺である。



が・・・



この爺様・・・・



カマスが釣れない・・・



class俺の方は・・・



爆釣!!



そんな俺を不思議そうに見ているG様



あまりにも釣れなさすぎのG様の事が不憫に感じきて・・・


『釣れません?カマス持って帰ります?』


と、class俺は愛の手を差し伸べ、カマスを片っ端からG様のバッカンへ放り込んだ。


そしてclass俺は移動。



清掃活動が終わって、また小湊に戻り再びカマスを爆っていると・・・



『海猿さんですよね?』



と、朝のG様が名刺を出してきて連絡先の交換を求められたので快く承諾。



どうやら、class俺が朝爆して清掃活動に向かった後に地元のアングラーさんから


『さっきのが海猿さんですよ』



と言われ、class俺の爆釣にムカついたみたい。



基本、class俺は【単独釣行】が基本である。



それは、自分勝手だから。



しかし、このG様には好き勝手にポイント移動や撤収に延長を気兼ねなくさせてもらう事が出来た。



そんな感じで始まった。



で、3月16日(月)~17日に源GとLast外房アジング釣行




やっぱ【雨男】の実力を発揮して当然の雨の中のアジング







サイズは小さいけど【趣】のあるアジングである。



早掛け勝負は源Gに負けたけど・・・・


終わってみればいつもの様に・・・


泣かして差し上げたよ。








名刀【義光】



ごめんなさい源Gさん





焦って組み上げたのでガイドスレッドのコーティングが・・・・



しかしながらこの名刀【義光】のブランクは日本に1本しか存在しない唯一無二の【俺のアジングロッド】である。



外房~繊細なボートアジングまでカバーするバーサタイルモデル



6ftジャストで56g前後と極軽量ではないがバランス含め、トータル性能は究極


ガイドはオールトルザイト仕様


希望小売価格138700円(ウソ)





アジングの方は・・・


早々と切り上げ・・・






急遽!宿に泊まる







ゆっくりと風呂に浸かった後はG様と乾杯!





2分で爆睡するclass俺


朝マズメは・・・・




やる気はなし



というか、寝過ごした。


オマケに喉が痛いので・・・


『イビキがやかましくなかったですか?』


と、G様に聞くと・・・


相当ヤバかったらしい・・・



この日の昼には撤収する予定だったがイマイチ不完全燃焼なので夜まで続行



昼間は釣りはせず・・・


DSC_0808.jpg




爺様とソフトクリームって・・・



おいっ!




そして・・・



外房最後の夕日




ここでぴーすけ君とゆりおさんを発見!



Pちゃん、最後まで泣かせてごめん


そしてカバ先輩はわざわざ仕事が終わってから駆けつけてくれた。



有り難いね。




外房最後のアジは・・・







名刀【義光】、餞別で源Gさんにプレゼントしてもらったステラで。


極豆13cm・・・



な感じで5年間通ってきた外房アジングに離別・・・


アジングの仲間達との離別。



寂しさ全開だね。




そしてこの記事が公開される20日には・・・


DSC_0794.jpg






5年間勤務した職場との離別。




そして何よりも・・・



21日に子供達との離別



これは正直、死ぬほど辛いね・・・




流石のclass俺も号泣間違いなし!だろう。



ま、それがclass俺の人生。





という事で・・・




このブログを通じて知り合った関東の仲間達へ




本当にありがとう!!
 
いつでも広島でまってるぜ!!
 
そしていつでも勝負してやるから腕を磨いてこい!!
 





東京生活も残り2日半






部屋も綺麗に片づけて段ボール箱の上でブログを書いている



と言いながら・・・



明日は横浜沖提に渡ろうと考えている所謂・・・



頭のおかしいclass俺。





最後に・・・



このブログは暫し休むかもしれません。


広島に帰って余裕が出来れば再開します!!



余裕があれば速攻で復帰しますが、今のところどうなるかは不明。



ま、楽しみにしていてOK!です。



コメント欄は開けておきますが返信は期待しないでください。








とりあえず



Let's meet again sometime.



ごきげんよう!!


バカどもよ!!ありがとう!!










今日の【言葉】


我に降りかかる全ての現実は我の責任として


受け入れるべきである。


そこに他人の影響というものは存在しない


他人を選ぶのも我である。





中村剛士







おしまい。



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