いつも沢山のアクセス、有難うございます!
自分がブログを書いていくモチベーションはアクセス数の多さのみ
コメントや、いいね、も当然嬉しいけど、やっぱアクセス数。
そこには共感や情報収集以外の否定的な心理からのアクセスもあるだろう
しかし、【共感】の反対の心理、【嫌悪】からくるアクセスも重要だったりする。
それは、どんな感情だとしても人間を感化させる事が出来ている証
即ち、良くも悪くも他人における自分の存在価値のバロメータだと自分は捉えている。
感化、共感出来ない、されない相手に人間は【無関心】となる。
実は相手に【嫌悪感】をもたれるよりも、【無関心】になられる方が一番寂しいものだという事を最近再確認すると共に、【共感】する事、できる事の重要性も身に染みて解ってきた気がする。
今回はその
共感と嫌悪感と無関心
について考えてみた。
嫌いな人間は誰にでも居る
数ヶ月前に忘れていた人間から…
『僕はあまり人を嫌いになる事はないんだけど』
『でも僕はあんたの事が嫌いなんだよ』
そんな事を言われた。
俺からすれば
なんだコイツ?
思い出した!お前みたいなのも居た!
っていう感じで、僕ちゃんの事は俺の頭の片隅にすら無い存在だった。
さておき、僕ちゃんは俺の事が嫌いで仕方ないらしい。
俺からすれば僕ちゃんの事は失礼な話し、眼中に無い存在。
という事で、僕ちゃんの心理というか、人間の思考回路について第三者的見地から考えてみる。
僕ちゃんは俺に対して【嫌悪感(けんお)】を抱いている
人間が【嫌悪感】という感情を持つ理由
◎相手と自分の価値観が違う
◎共感出来ない
◎相手の言動、生き方が自分の理想のモノではない
◎嫉妬
◎妬み
◎相手に傷つけられた経験がある
人間が人間を嫌いになる理由はこんなモノだろうか?
俺は僕ちゃんを傷つけた記憶は無いから、それ以外の理由が僕ちゃんの心理の中で俺に対して働いているのだろう。
しかし・・・
ちょっと待て
それならば・・・
よく考えれば、俺がどんな生き方だろうが、どんな価値観を持っていようが、僕ちゃんの人生に俺が実質的な影響を与える事は無いハズだ
なのに【嫌悪感】をいだく心理とは?
僕ちゃんの心理を分析してみた
◎僕ちゃんの理想ではない生き方の中村、なのに楽しそうな中村
コレに尽きるだろう。
まあ、所謂、【嫉妬】や【妬み】という心理が【嫌悪感】という感情を生む。
人間だから、俺もそういう心理で、そんな感情を持つことは少なからずある。
しかし、僕ちゃんのように・・・
『僕はあまり人を嫌いになる事はないんだけど』
『でも僕はあんたの事が嫌いなんだよ』
と、相手伝えることは無い
何故なら、俺はその相手に対し【無関心】だから。
それを敢えて嫌いな相手に伝える心理
その心理の裏に何が有るのか?考えてみよう!!
先に挙げた【嫌悪感を持つ理由】
普通はこの価値観の違いや嫉妬などという理由だけで、人間に対し嫌悪感を持つことは無い
事実、俺も僕ちゃんに対し価値観の違いを感じている。
嫌悪感を持つ理由の中に僕ちゃんの期待が込められていると感じる
僕ちゃんのセリフ
『僕はあまり人を嫌いになる事はないんだけど』
このセリフに秘められている心理を解説してみる。
このセリフには・・・
『僕は人を嫌いになる事が少ない善い人です』
『そんな善人の僕が嫌いになるあんたは最低人間です』
『善人の僕が嫌いなあんたは間違っている』
『だから間違いを正して下さい』
そんな心理であろう。
というか、その前にチョッとこのセリフに秘められた【汚さ】について触れておく。
このセリフには『人の事を嫌いにならない善人な僕』を伝える事で自分自身を正当化し、相手を納得させようという醜い魂胆が見える。
まあ、カッコ悪いセリフである。
俺ならば
『お前が嫌い、だから俺に係るな』
もし、相手に伝えるならば、ただそれだけ。
しかも、このセリフには無意識に僕ちゃんの欲が盛り込まれている
それは・・・
相手を変えよう
そんな心理である。
無意識ではあるが自分を正当化したセリフにはそんな思いが込められているのではなかろうか?
本当に【無関心】であるならば、そのセリフは出てこないハズ。
そう、相手がどんな生き方をしようが、どうでも良い訳だから自分の正当性をアピールして相手に己の愚かさを自覚してもらう必要は全くないのである。
さて、僕ちゃんの話しは終わりにしておこう
本題に戻る
【嫌悪】については先に述べたので
【共感】と【無関心】について・・・
【共感】とは・・・
共感(きょうかん、英語:empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情 を共有することを指す。もしくはその感情のこと。
たとえば知り合いがつらい表情をしているとき、相手が「つらい思いをしているのだ」ということがわかるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。
通常は、人間に本能的に備わっているものである。しかし、例えば自己愛性パーソナリティ障害 の人物では、 ”共感の欠如”が、見られる 。
共感性がたとえば友情 を生み出す。
友人 になったきっかけは、「何となく」であることが多いが、「何となく」の本性は、共感性である。
↑Wikipediaから抜粋
この相手に【共感する】できる事、相手に【共感される】事、これが
自分が生きていく中で、大事な相手、親友との関係を深く形成していく上で最も重要な事だと最近になって気付いた。
その【共感】という心理は、共感しようとか、したくないといった自分自身の意識や心のコントロールで変化させることは出来ない。
その【共感スイッチ】の場所やポイントは人それぞれであり
それは生れながらに個々の人間に備わっているモノであり
スイッチの場所やポイントに善悪や可否といったものは無い。
どこの部分で共感しても尊いモノでもなければ、醜いモノでもないのである。
この【共感】する、しない、という意味を世間一般には【価値観の違い】と表現す事が多い。
しかし、【価値観の違い】と表現する事の意味に・・・
【どちらかが、正しい】
【どちらかが、崇高な価値観】
という意味が含まれている気がしてならない
だから俺は使いたくない言葉である。
離婚原因の表向き理由NO.1
【価値観の違い】
おそらく間違いないだろう。
本当は浮気や、暴力や、ギャンブルが原因で離婚したとしても、この理由を使えば世間一般的に納得される。
そう言う意味でも使いたくない言葉である。
話しを戻そう
【共感できる】・【共感してもらえる】
この重要性はただ単に自分自身が心地よいとか、嬉しいとかという易いモノだけでは無い
最も重要なのは・・・
【共感から得られる自身の感化】
即ち、感化される事だと、自分は感じる。
感化されるとは・・・
外部
のものに大きな
影響
を受け、自らも考え方
や感覚
を変革
するさまなどを意味する表現
。
考え方
や行動に影響
を与えて、自然にそれを変えさせること。
そう、自然にってところがポイントであり、そうでなければ感化されたとは言えないだろう。
良い方向へ感化されるという事は、それまで気付かなかった事や気にならなかった事などに自然に変化をもたらす
それは真っ当な人間に成長する為にも重要であるし、何よりも【強制的】な変化ではないし自分自身の心の底からの変化である故に、ストレス無く、しかもいつまでも続くものだと考えている。
解り易く言えば・・・
『優しい人間に成りなさい』
と、言われても共感できる相手からの言葉でなければ自分の心には響かない
優しい人間に成る事が良い事だと解っていても響かない
響かないから変わる事も出来ない
しかし、同じ事でも共感できる相手から言われれば
不思議と納得できたりする。
納得できるという事は、心の底から自然と変わる事が可能に成る。
そう言う意味で
【共感から得られる自身の感化】
俺にとって生きていく上で最大限に重たいモノである。
【無関心】について・・・
実は妻は俺には無関心である。
このブログ記事も見る事はない。
当然、釣りや、仕事、にも無関心
まあ、夫婦というのは10年以上経てばそれが普通なのかもしれないが、やっぱね~・・・
【共感】する、しないという事は意識的に変化させることは出来ない訳だし
感化されたり、したりも出来ない
それは何よりも寂しい事であり、今後の俺の人生を変化させる要因となる
という事で・・・
【共感】・【嫌悪感】・【無関心】について書いてみたが、
【無関心】というものが相手にと自分の関係にとって、一番修復不可能な感情という事に成るだろう。
また、人間が生きていく上で自分の身近な人には【共感】を求めるものであり、良い意味で感化される人は、自分を変化させる大きな力がある。
そんな事を最近つくづく感じるので簡単に書いてみた。
そして今日は長男洸介の運動会
6年生にもなると・・・
『父さんは来なくていいから』
まあ、当たり前の男の子の反応である
ヤツは選手リレーに選ばれた、【俺クラス】のDNAを受け継いでいるので当然と言えば当然である。
しかも、アンカーだし
見に行かないオヤジがいる訳ないだろ!
『父さんは見に行かないから』
と言いながらコッソリとストーキングしてきた。
上が洸介なのだが、ヤツは6年生でも大きい方で学年で一番デカい男子と(下の子)と組み体操をしていた
俺は小学生の時は常に前から3番目が定位置だったしチョッと不思議な感じ
デカい男子は一番下の列に土台として活用される
洸介は最下段一番左端
男前な男子はグランド真ん中の招待席から良く見える様に前列に投入される
洸介も前列に投入されたが、センターの座を確保するほど男前ではない。
そしていよいよ運動会の花形種目
【高学年選手リレー】
洸介は赤組の黄色ゼッケンの【7】
5年生から6年生へとバトンが渡される
が・・
アンカー洸介に渡される時は既に最下位の4位
所謂、大外で待機する洸介
それでも必死に頑張る洸介を見てると、父さんは涙が出そうになった。
クソ生意気な年頃の息子だけど、やっぱ可愛いもんだね。
彼の小学生最後の運動会が終わった。
数十年後には良い想い出として彼の記憶に残って思い出すのだろう。
おしまい。